『愛おしいひび』鈴木志歩監督インタビュー

Cinema Terminal Gate006コンペティション部門がオンライン開催となり、これまでのCinema Terminalにあったトークセッションや懇親会がおこなえない中で、また、「コロナ禍」によって学生映画が深刻な危機に直面している中で、学生の映画制作者の声を少しでも多くの方に届けるため、コンペティション選出監督のインタビューを掲載いたします。


コンペティションC『愛おしいひび』鈴木志歩監督(立教大学映画研究部)

聞き手:髙橋美貴(首都圏映画サークル連合副代表)、石丸峰仁(首都圏映画サークル連合代表)

髙橋:まずは、選出おめでとうございます。

鈴木:ありがとうございます。

髙橋:それではさっそく質問にうつります。まず、選出されてのご感想をお願いします。

鈴木:今回、とても小規模な撮影で、スタッフもキャストも含めて3人で撮影して、作品自体も長いものではなかったので、まさかと、選出されて驚きました。ただ、色々な方に観ていただける機会ができてうれしかったです。

髙橋:小規模だった、ということですがコロナ期間だったからということですか。

鈴木:そうですね。地元の幼馴染の友達と、よく部で一緒に撮っている人に協力してもらって、もう地元で、人数も限ってっていう感じで。コロナが一番流行っている時期が過ぎたころで、あまり人も呼べないなというのはあったので小規模でやりました。

髙橋:幼馴染と部活の人だったということですけど、私すごく、この映画で視線とか表情が、台詞が少ない分重要だったと思うんですけど、もともとそんなに演技をされている方じゃないということですか。

鈴木:そうですね。もう、普通の友達で演技経験もなくて、私も出ているんですが、部活でエキストラとして出た程度で、全然経験のない同士でやりました。

髙橋:演技経験のないお二人ということで、撮影するにあたって演出上で工夫されたことはありますか。

鈴木:そうですね。こういう気持ちでというか、こういうのを撮りたいのというのを伝えて、ここはこういう感情でお願い、といったざっくりした形で。演技の指示というよりはどう映すかというのを大切にして撮ったので。視線の動かし方であったり、背景の動き方だったり、音の演出だったりといったところで、動きをどう映すかというのに重点を置いて、という感じですね。

髙橋:ありがとうございます。さきほど地元で撮ったというお話があったと思うんですが、けっこうロケーションが特徴的だったと思っていて、どのように決めていったのかお伺いしてもよろしいですか。

鈴木:外のシーンは本当に近所の、ずっと住んでいる場所だったのでよく知っていて、このシーンはあそこがきれいかなとか、夕日はここかな、この時間帯はここかなと話し合いながら作っていったのと、あと、室内のシーンはカフェのある建物の二階を使わせていただいたんですけど、そのカフェに自粛期間によく行っていて、それで店長さんと仲良くなって、使わせてくださいって。すごい建物なんですよ。文化財になっていて。全然それまで知らなかったんですけど趣のある、とてもきれいな建物だったので使いたいなと思って。すごく快諾していただきました。そのロケーションの良さが映えるような作品にしたいと思っていたので、そういうのがきれいに映っていたらいいなと思います。

髙橋:文化財ということですが、申請とかは必要なかったんですね。

鈴木:ぜんぜん口約束で、明日貸してくださいくらいで借りちゃったんですけど。

髙橋:カフェのシーンでアスペクト比を変えて撮影されていて、登場人物たちの心情や状況の変化を表現しているように思いました。

鈴木:今回、距離というのを意識して撮りたいと思っていて、最初はスタンダードサイズで撮ろうと思っていました。というのも、今回、出演しているのが二人だけなので、画面上で見える二人の距離と重ねて心理的な距離というのが出やすいと考えていました。ですが、現実と内面を映すというところで差を出したいなと思い、アスペクト比を途中で変えて撮りました。内面を映す時の狭い画角で二人がちょっとずつ近づいていくのを映せたらなと思っていました。

石丸:この作品は、台詞がほとんどない映画で、ひたすら視線や動作によって関係性を描いていて、場面ごとの繋がりも曖昧で、いわばコラージュ的に構成されているように感じました。この辺りは意識していましたか。

鈴木:台詞というところでいうと、今回、スタッフが実質一人という状況で音声がなかなか撮りにくいというのはありました。あとは、距離を意識するというところで、視線であったり動作であったりで映像を繋いでいきたいというのがありました。感情的な部分を映したいというのがあり、どうしても台詞にすると意識的なものになってしまい、感情を表現するのには適していないように思い、画で伝えたいというのがありました。

髙橋:わざと言わず最後に伝えたいことをもってくる手法が印象的でした。鈴木監督は、映画における会話はどのようにお考えですか。

鈴木:割と、いつも会話は少ないです。というのも、やはり台詞が悪目立ちしてしまうことや、せっかく映画で、映像で撮っているからには画で伝えたいというのも大きくあります。台詞は、今回は最後に持ってきましたが、映像だけで伝わらない部分は補わなければならないというのがありました。また、コラージュのようにどんどん繋ぎ合わせていったので、それだけだと曖昧なものは伝わるかと思うのですが、最終的な着地点、何を言いたいのだろうというところで、台詞をいれました。しかし、最後の台詞も決定打になる、足のついた台詞というよりは漠然とした台詞だったので、どう受け取られるのかというのはドキドキしながら観ていました。それが上手く伝わっていたら嬉しいです。

石丸:僕もコラージュ的に制作することが多いので実感があるのですが、コラージュ的に作っていくと終われない、続けようと思えばいくらでも続くので着地点を置けないという大きな問題点があるように思います。ですがフィクションである以上、どこかで終わりにしなければならないので、なかなか心苦しい判断があったかと思います。

髙橋:本作品には同性愛的なイメージもあるように思いました。この話の着想やコンセプトがあったら教えていただきたいです。

鈴木:この作品を撮ろうと思ったのは、コロナ自粛期間の時に何もしていなかった、家にずっといて、映像を作る活動をしていなかったというのがあり、友達も同様だったというのがあります。家にずっといるのはよくないですね(笑)

石丸:おっしゃる通りだと思います。

鈴木:すごく暗い方向にいってしまって。何かしなきゃなと思った時に地元の友達は呼びやすいですし、ずっと仲良くしている友達なので、ちょっと撮りたいから手伝ってよ、というのをカフェで話していてという流れだったんですけど。お互い、割と暗い気持ちになっている時に外に出て話して、明るくなってという単純な流れなんですけど、それが今の状況だなと。割とそのまま、自分の立場、状況を映画に反映したというのはあるので。同性愛っぽいというのは、たしかに女子同士で仲良くして距離が縮まっていくので、そう受け取られるなというのは作っていてありました。ただ、それを映そうとしてそうしたわけではなくて、友情とも愛情とも恋愛ともとられる場面があると思うんですけど、しいて言えば愛情、恋愛感情というよりは親しさが映ったのかなと思います。

髙橋:そう見えた一番のところはアイスを食べるシーンや、あとは女の子同士のキャラクターの対称性がそう見せたのかもしれないと思いました。

鈴木:アイスを食べるシーンは普段の自分たちの関係性というところはあるんですけど、食べるって行為は意味を持つ行為だと思います。今回だと、落ち込んでいる子と、それを外に出す子ということになっていて、相手のものを食べることで内面的な分かち合いという意味が生まれると思いつつ入れました。アイスを食べることや対称性は映したいもので、同性愛自体は狙っていたものではないですが、受け取られ方として狙っていたものではないですけど、二人の仲の良さ、相手を思いやる気持ちが映っていたのかなと思いました。

石丸:この作品に性愛の如何を見出そうとするのは、ちょっとナンセンスというか、それを明らかにしようとするのはあまり重要ではないように思っています。たしかに少なくとも一方の登場人物にはそのような可能性があるかもしれないと思いました。それはこのような時代で、会うことや触れ合うことが難しい時代だからこそ過剰にみえてしまう部分もあるのかもしれません。しかしこの映画は、言語化し得ない関係性を描いていると思うので、そこは重要ではない、言い換えればどちらでもいいように思います。

鈴木:受け取り方は人それぞれだと思いますし、時代性が観方に反映されることはあると思います。自分が映したいものは映して、そこから何を汲み取るかを縛るつもりはないので、性愛として受け取られても友情として受け取られても、どちらでも構わないというと変な言い方ですけど、そこにあまりこだわりはないです。性愛であったとしても、そこに二人の親密さ、お互いの思いやりを感じていただけたと思うのでそれがうれしいです。

石丸:ありがとうございます。ちょっと作品の内容から外れてしまうのですが、伺いたいことがあります。今の時代はこの作品に描かれている関係性を築きにくくなっていると思います。私たちが同時代の映画を作ろうと思ったら、こういう関係性を描くのは中々難しい。2020年現在のリアルがこの作品のようではなくなってしまっています。触れ合うことなく視線を交わすことなく生きる事が飽和し、普遍化しつつある中で、しかし鈴木監督は、あくまでも触れ合いや視線を使って共感や思いやりを表現しているように思います。監督は触れ合いや視線についてどうお考えでしょうか。

鈴木:視線というところでは、そもそも映画自体がカメラを通したもので、劇場でもカメラを通した先の現実というのを一つフィルターをかけて見ているので、実際に会っていないものを劇場でさらに観るというのは、私は、人の温もりというか、体温が低くなってしまうように思っています。それを使って人の心の温かさや交わりを映すのは難しいなと思っていて、愛情であっても友情であっても、直接会って、相手の感情を直接感じ取れる場所を映す方が作りやすいというもあります。なので、人の感情を映したいときは実際に会っているのをカメラで捉えるということをしていきたいですし、オンラインミーティングを通すのは私には難しすぎると思っています。それこそ台詞が必要になると思うので映像で伝えるのは難しくなると思います。やはり人と人が会うのはすごく大切なことだと思いますし、視線や温もりは、会って直接感じることでしか伝わらないので、オンラインミーティングという代替物で表現するのは難しいと思います。

石丸:会うというのはとても大事ですよね。そうすることでしか感じられないものがあると思います。貴重なお話をありがとうございます。

髙橋:感染者数が増加している状況ではありますが、現在の活動状況や今後の展望を教えていただけたらと思います。

鈴木:まだ卒業まで一年ありますし、可能な限りどんどん撮っていきたいと思っています。今の社会状況とか、制約はあると思うんですけど、その制約の中で、自分の表現したいものをできる限り妥協せずに映していきたいです。今は活発に活動しているわけではないですし何か撮っているわけではないんですが、撮りたいとは思っているので、次は、オンラインミーティングは使わないと思うんですけど、自分のポリシーをちゃんと持って、映していけたらと思います。

髙橋:最後に鑑賞された皆さまに一言お願いします。

鈴木:ご鑑賞いただきありがとうございます。短い作品なので、どう受け取られるか私自身ドキドキしていたんですけど、その中で、自分なりの解釈や感じ方を持っていただけたら嬉しいです。

髙橋:これでインタビューは以上になります。ありがとうございました。

鈴木:ありがとうございました。

首都圏映画サークル連合

2014年9月5日発足の団体です。 2015年9月1日現在、21の映画研究部、映画研究会、映画サークルが所属しています。 運営はすべて学生が行い、首都圏映画サークル連合運営員会が、その中心を担っています。 学生映画の質・知名度の向上、各団体の繋がり強化のため、合同上映会や合同制作を行っています。