Cinema Terminal Gate004 Final トークセッション(『冬避』『インスタントカメラ』)
司会:谷川雛多氏
ゲスト審査員:中川駿氏(『カランコエの花』など)
中川龍太郎氏(『四月の永い夢』など)
監督:宮坂拓人氏(『冬避』/中央大学映画研究会)
鈴江誉志氏(『インスタントカメラ』/駒澤大学シネマプロデュース研究会)
司会:宮坂監督、上映を終えての感想をお聞かせください。
宮坂:見てくださってありがとうございます。すごく退屈だったと思うんですが(笑)、実際プロのお二人もわざわざ見てくださったのがすごい、もうそれだけでほんとに嬉しく思います。ちょっと残念だったのは、この環境があれだったんですけど、最後の殴られるところ、本当はもうちょっと真っ暗なので、そこは少しだけ残念。残念だったんですけど、ほんとに見てくださってありがとうございます。
司会:鈴江監督、お願いします。
鈴江:駒澤大学シネマプロデュース研究会の鈴江誉志と申します。まずは見てくださって本当にありがとうございます。ちょうど1年前の9月22日に、この作品が完成して、その翌日にファイナルに来て、一番後ろの席で見ていたので、こうして流れていることが、不思議な気持ちでいっぱいです。でも、こうしてたくさんの人に見ていただいたり、自分の好きな監督さんに見ていただけたりするのは本当にありがたいなと思っています。ありがとうございます。」
司会;ありがとうございます。監督からもご感想を頂いてよろしいでしょうか。
中川(駿)監督:どうしようかな。順番的に『冬避』ですよね。問題作、『冬避』(笑)。すごく、一点際立っていたというか、ある意味で。全作品の中でこの作品が、僕の理解力の問題なのかもしれないですけど、お客さんにこう思ってもらおうとか、楽しんでもらおうとか、こういうメッセージを発信しようとか、お客さんを自分の思う通りに誘導しようみたいな意識が、見えなかったような気がしていて、それがこの作品の一つの個性だなと思って、僕はすごくいいなと思っております。終盤になるとちょっとまた話が変わってくるんですけど、そこに至るまであんまり説明的な表現がなくて、説明してくれない、教えてくれない、この子は誰なのか、どういう関係性なのかみたいなところも、見ていくとだんだんわかってくるんですけど、なかなか冒頭では教えてもらえないっていう中で、逆に教えてくれないからこそ、興味をそそられるというか、これってどういうことなんだろうみたいなことで、逆にすごく僕は集中してきて。で、これ何分でしたっけ?
宮坂:あ、『冬避』ですか?
中川(駿)監督:はい。
中川(駿)監督:「何分何分でしたっけ。
宮坂監督:あっ56分です。
中川(駿)監督:ですよね。ほぼ1時間という長い尺で、長回しだったり、間がすごく空いてたり、一見退屈になりがちなところを、ツンデレみたいな感じで、逆に教えてくれないからこそ、注意というか、興味がずっと沸いてずっと見ていられるところが、おもしろかったと感じてます。今回の『冬避』、エスケープでいう逃避から来ていると思うんですけど、現実逃避から始まってるんじゃないかとお察しするんですが、そのキーワードから1時間の作品を構成する監督の想像力、発想力が、いい意味でクレイジーだなと思って。僕にはない感覚、感性だったので、とても勉強になったというか、気持ちよく観させていただきました。上から目線で申し訳ないですけど。
中川(龍)監督:どうしてもこうやってると上から目線になっちゃうんだよね。見え方として。嫌ですよね。結局あっという間に人は抜いていくから。活躍して僕の仕事を取らないでください(笑)。中川(駿)監督のお話を伺ってて、いい映画な気がしました。確かにね。だけど、僕はこれもちょっと説明しすぎだと思いました。セリフで言うとか、関係性を語るだけではなくて。彼がどうして小説が書けないことが苦しいのか、といったら、小説を書けないということだけじゃないというところも苦しいわけじゃないですか。そこを想像させるパンチが必要で、小説は書けないということに苦しんでいる描写が多すぎて、他のことで苦しんでるんだろうということまでは想像がいきづらくなる。画は強いけど。あれだと、小説が書けないだけで悩んでるように見えてしまっている。あの題名はめっちゃ素敵だと思ったし、『冬避』。最高。超パクリたい。あんな素敵な題名で想像させるじゃないですか。あったかいところにいきたいってコンセプトも最高ですよね。だからそういうものを残して、やっぱりこれも編集なんです。あと15分くらい削ってたらもっとよくなるような気がしてて、レールはとにかく極限まで削ったほうが絶対よくなるはずです。それはもう、ほんとにそう思います。僕の大したことない作品だけど、『愛の小さな歴史」では、120分を80分にしたら、映画祭も通ったし、それぐらいもっと削ったらすごくよくなると思う。自転車のシーンだけでいいぐらいですよ。素晴らしいですね、あの撮り方。特にこう、ふと走ってて、ウケた?(笑) なんか、二股に分かれるじゃん。二股に分かれて片方が行くのに、もう片方カメラが止まって、振っていく。あれは絶対パクる(笑)。ごめんね、パクる。最高。うん。あんな綺麗なカットなら、あういうものばっかりでいけばいいなって思いますよ。あの女の子も喋りすぎなんだよなあ。もっと喋らないで、「あったかいとこ」というコンセプトだけあればいいじゃないですか。それ以外重要じゃないですよね、話してる言葉って。あったかいとこに行くだけでいいんです。それでいったらすごくいい映画になるんじゃないかな。もっともっとダイエットできるような気がしました。でもほんとに自転車綺麗ですね。やっぱりどうやって撮ったか後で教えてください。聞きたいですよね。本気でパクリに行く(笑)。食っていかなきゃいけないから。冬の寒さが表現できてることもすごいですよね。宝塚の演目で『エリザベート』を見てきたんですけど、その「エリザベート」っていう女王様が、死神トート、ドイツ語で死という意味だけど、死と恋愛する話なんです。ところどころ人生のなかで自殺への思いが出てきたら、トートというキャラクターが出てくるわけだ。それを思い出した。それを参考にしたらこのコンセプトはいけると思う。もっと力をつけたうえでもう一回ちゃんと撮ったら、「ぴあ」とかも通るんじゃないですか。なんとなく。目指してないかもしれないけど。
司会:ありがとうございます。自転車のシーンはすごく私も好きです。あと夜の映し方もすごくいいと思いました。技術面はもとより、製作段階で、気をつけたこと、工夫したことはありますか。
宮坂:映画が作れなかった期間があったんですけど、その期間の話なんですね。で、久しぶりに脚本が書けて、それをやるしかないと。そうだごめんなさい話がずれちゃった。製作段階で気をつけたことは、あったかいところとさっきもおっしゃっていましたが、女の子の存在は本当の女の子じゃないとっていうのがあったんですけど。そのあったかいところの、逆の意味を考えてみたんです。たとえば現代社会のなんか冷たい感じって言うんですかね。それを肌に感じてまして。その逆ってたとえば言葉にすると天国か、じゃあユートピアか、桃源郷か、わかんないけどじゃあそれってすごく非現実的なんですよね。じゃあ、あったかいとこってどこだろうって結局わかんないんですよ。わかんなくて、わかんなかったんですけど、でも、そこを目指すことはすごい大事なことなので、それを空にあててるんですけど、だから、そうですね、主人公だけのパートの空と、彼女と一緒にいる時の空は違いますし、天井が常にあって、主人公の上に。最後ようやく見ることができて、その場所というのか、彼がまあ見ることができたという。なんていうんですかね。空については、同一さというところに気をつけていました。ごめんなさい、長くなりました。
中川(龍)監督:こういうのは長く言ったほうがいいんだよ。
司会:ありがとうございます。続いて、『インスタントカメラ』についてのご感想をお願いします。
中川(駿)監督:ほぼセリフなしですよね、テレビ番組のナレーションが一回入りますけど。これまでさんざん話してきましたが、登場人物の設定や背景をセリフではなくビジュアルで表現していくという意識が全面に現れていたので、すごく好感を持っています。セリフでの説明を避けるというのは僕も意識していることなので、シンパシーを感じました。逆になんで、司会者の声が入ったんですか? あそこだけ(声が)入ったということには監督のこだわりや思いがあると思うのですが。
鈴江:作っているときはあまり意識していなくて、完成してからセリフがないことに気づきました。ニュースの音声は、説明が足りないかと思って、補おうとして入れました。
中川(駿)監督:あそこだけ音声が入っているので、必然的に注目が集まりますよね。事故の原因が竜巻でなければ、(別の方法で)表現できたとは思うんですけど。演出に対する監督の思いが感じられたので、すごくよかったと思います。ただ一つ言うと、過去を振り返る、過去の出来事を振り返る作品として、フィルムカメラを使うことには、既視感があると感じました。演出・構成には長けていると思ったので、企画段階にも同じ熱量をかけると、次回作では一段階上のものを撮れるのではないでしょうか。あと、映像がめちゃくちゃきれいでした。僕なんかよりも全然よくて、教えてほしいくらいです。
中川(龍)監督:僕は自分の作品と似たコンセプトを感じて、そういった意味ではすごく共感しました。セリフがないことや、男同士の関係性、死、インスタントカメラとか。あと、世田谷駅大好き(笑)。昨日もそのあたりを散歩してたんだけど、いいよね。ただ、何が説明的かということについて、4本すべての映画に思ったし、自分のクランクイン前の作品についても見直さないといけないと思ったことですが、「セリフがないこと」が「説明的でないこと」にはならないわけです。たとえば、説明のためのアップがある。それはドラマです。品がないからやめたほうがいいと思う。せっかくストイックに作っているんだから。そこに知恵を絞ることが大事だなと思いました。あと、音楽を排除したバージョンを一回観てみたい。音楽が感情に先行して流れるカットが多いし、音楽自体はいいけど、すごく叙情的になっている。映像で見せるわけじゃない? 映画はもともとサイレントだったから。映像で驚きを生み出すべきなのに、音楽が先行して、「ここで悲しいシーンが来る」「ここはこんな感情だ」とするのであれば、それこそPVを見ていればいいし、ipodを聞いていればいい。僕らは映画を作っているのだから、まずは映像があって、映像ありきで、それに音楽が補足するかたちで加わる、という考え方をもったほうがいいと思いました。僕も『走れ、絶望に追いつかれない速さで』を作ったときに、自分の映像を作る能力に失望して、音楽でエモくしてごまかそうとしたことがあるから(笑)、そこを意識して作ったものが観たい。今後も悩み続けていくことだとは思うけど。あと、これはBL? 見る人がみたら、それっぽく見える。
鈴江:キャストと打ち合わせをしたときには、「信頼」と「愛情」の間だと伝えたのですが、「わかりやすくいえば、BLです」とは言いました。
中川(龍)監督:僕も『走れ、絶望に追いつかれない速さで』を撮ったときに、あれは男同士の友情の話で恋愛要素はないのだけど、ある意味では『ブロークバック・マウンテン』がやりたいとは言っていた。本当の友情って、恋愛に近い感情が多分あるんだよね。それがちょっとだけ見えるのが一番エロいはずで、ちょっと露骨かなあと思った。もう一歩引いたら、もっとエロくなる。でもそうでもないのかなあ、わかんないね。すごく素敵でしたね。これももう一度作り直したものが見てみたい(笑)。
司会:中川龍太郎監督が先ほど音楽の話をされていましたが、ミュージックビデオ的という意見が非常に多かったです。それは、映像を表現する上で意識したことなのでしょうか。
鈴江:皆さんが映画を作るときに、今まで観てきたものが反映されることが多いと思うのですが、僕にとってそれがミュージックビデオでした。ミュージックビデオやショートムービーが好きで、あまり映画を観ないので、どうしてもその部分が出ていると思います。脚本もあまり決めていなくて、歩いているところをパッと撮って挿んだりしているので、そこがミュージックビデオっぽいのかもしれないです。
中川(龍)監督:いいね。それならそれでいいんじゃないですか。映画的である必要なんてないし、「映画的」という言葉に根拠はないですからね。その言葉を通して考えることに意味があるだけですから。悲しみの表現として、いきなりゲロを吐くとか面白いと思ったけどね。あんなにきれいな世界なのに、どういうこと? みたいな(笑)。そうしたらPVでなくなるのかもしれない。
司会:カメラが出てくる作品は多いと思うのですが、なぜ今作ではインスタントカメラだったのですか?
鈴江:インスタントカメラ自体にはあまり意味をもたせていないです。ただ、何かもの
をもって友達と過ごしているうちに、そのもの自体には意味がなくても、それに込められた思い出が作られていくものなのかなと感じています。撮影中に映画の追体験みたいなことがありました。使い捨てのカメラをくれた友達がいたんですけど、彼が大学をやめて会えなくなってしまった。写真を現像したときに、もう会えない状態でその写真を見て、胸が苦しいというかなんともいえない気持ちになって。カメラを持ちはじめたときは何も思わなかったんですけど。
中川(龍)監督:そうなってくるとフィルムである理由はありますよね。俺も、フィルムの使われた方が記号的だなと思っていたんです。今の話を聞いていると、フィルムって物理的に感光させてるじゃないですか。デジタルは電気信号で。アキ・カウリスマキという監督が言ってるんだけど、本当にあったものがないという、不在の実在を感じさせるには、そもそも実在しないデジタルのものよりも、フィルムのほうがいい。その点ではいい角度かもしれない。フィルムとは何かをもっと考えて、友人との体験をより深く落としこんだら、もっと激しい作品になるかもしれない。
2018年9月22日
大東文化大学大東会館
構成=山本航平、鈴江誉志、古川駆、二瓶直也
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